お元気ですか? パープル@AN−Jです。
 
本名
 淺野昌規(あさの・まさのり)

メールアドレス
 

生まれ
 1960年10月11日
 (広島県・尾道市=母の実家の所在地)

その他のデータ
 身長171センチ、体重60キロ。
 血液型A型、RHはプラス。
 てんびん座、動物占いは中谷さんと同じ「さる」。

好物
 らーめん、カレー、ぶどう酒。

好きなブランド
 カバンはコーチ。【タキシード】はグッチ。自転車はミヤタ。

好きな色
 紫、黒

好きな女優さん
 原田美枝子、久野真紀子、ジュリエット・ビノシュ。

好きな映画監督
 トリュフォー、フェリーニ。

好きな映画
 『天空の城ラピュタ』『太陽を盗んだ男』(沢田研二主演)

(中谷さんのほかに)好きな作家
 海外は、モーリス・ルブラン、モーパッサン、ミラン・クンデラ。
 日本は、なかにし礼、大月隆寛、芥川竜之介。

好きな歌手
 ジョルジュ・ブラッサンス(フランスの元祖シンガーソングライター)

好きなカラオケ曲
 天城越え、危険な二人、知りたくないの。

趣味
 中谷彰宏。

得意料理
 カレー、ビーフシチュー、クスクス。
 パリ留学時代、淺野の部屋は、ビストロ・淺野と言われ、
 おなかをすかした人が「何かつくってよ」と、夜中によく来たものです。

購読雑誌
 「スピリッツ」「モーニング」「競馬ブック」。

競馬歴
 小学校6年生から。ただし、馬券は、何年かに1度、単勝を1000円買うだけ。
 最後に買ったのが、フサイチコンコルドのダービーの単勝1000円。

日課
 腕立て100回、腹筋340回、ダンベル少々。
 幾何学、因数分解、少々。

人生の目標
 大人の童話の語り部/算術修行者。

経歴
67年4月 河内長野市立小山田小学校入学
70年9月 堺市立大泉小学校に転校
73年3月 堺市立大泉小学校卒業
このころ、ハイセイコーブーム。競馬にはまる。 
73年4月 堺市立金岡中学校入学。
サッカー部。ポジションは、最初、右ウイング、右バック。
3年生の夏休み、鈴木孝夫著『ことばと文化』を読んで、言語社会学に
目覚めたが、卒業直前に、『有限の生態学』(岩波新書)を読み、
生態学(エコロジー)を志す。
76年4月 大阪府立三国丘高校入学。
学校内でケンカというものが起こらないことが、最初、ブキミだった。
1学期の生物の成績が、たしか30点。早くも生態学者への道を閉ざされる。
1年の夏休みから、文学青年に変貌。
得意な学科は体育。10段階の10をとったことがある。
3年のとき、つまり、中谷さんの翌年、国語と日本史でウワサの
長者番付に載りました。
79年3月 高校卒業。早稲田と慶應を受けるが、あえなく不合格。
79年4月 1年間の駿河台予備校生活がスタート。
東京駅に着いたとき、ああ、これから東京で暮らすのだと思ったら涙が出た。
実際は、千葉県の駿台の中山寮で暮らす。
中谷さんの谷塚寮は1人部屋だったが、淺野のいた中山寮は、なんと4人部屋。
中山競馬場のすぐ近くでしたが、ずーと我慢して、1度もいきませんでした。
80年4月 慶應義塾大学文学部入学。
早稲田の政経を蹴ったら、田舎の祖父母に落胆されてしまった。
慶應大学を選んだのは、『ことばと文化』の鈴木孝夫先生の授業を
聞きたかったから。
81年4月 文学部文学科フランス文学専攻に進む。
上級生に、後の評論家の福田和也さん、『リング』や『らせん』の著者、
鈴木光司さんがいた。
大学のほかに、日仏学院に通う。
83年8月 慶應大学の交換留学生として、パリ第三大学に留学。年に2人を派遣。
もう一人は、後の『ラブジェネレーション』、『神様もう少しだけ』の
脚本家、浅野妙子さん。
パリ時代は、後の芥川賞作家の荻野アンナさんに大変お世話になりました。
パリでは、勉強そっちのけで、ロンシャン競馬場やオートーユ競馬場に通う。
怪盗ルパンシリーズに出てくるパリの通り(シャンゼリゼとかの意味です)
約400を全部踏破し、写真に撮る。
84年4月 モロッコに旅行。モロッコのクスクス(料理)に衝撃を受ける。
84年8月 本当は大学院に行くつもりだったが、ある理由で、日本に戻り、
就職活動をスタート。10社回ったが、マスコミ以外は全部落ちる。
(あのころ『面接の達人』があったらなあ!)
85年3月 大学卒業。
卒論のテーマは、『文学とその読者』(怪盗ルパン論です)
85年4月 読売新聞社に入社。5月から週刊読売編集部に配属。
この年は、日航機事故や三浦氏逮捕など、事件事故が多く、
なんて職場に来てしまったんだ!と弱音を吐く。
スクープ記事は1回だけ。荒井注さんが実は結婚していた!というもの。
91年暮れ グラビアの取材で、中谷さんに遭遇。
92年の「顔」というお正月企画。
淺野の趣味で、なぜか、トウカイテイオーも同じ特集に載っている。
95年2月 図書編集部(単行本をつくるセクション)に異動。
それまでの週刊誌時代に書いた記事は、550本。
いちばん良く書けたと自分が思うのは、ラジオ局の
アナウンサー殺人事件の記事のあとがき。
(友人、知人からお手紙が来たりしました)
97年5月 中谷さんとの『恋愛小説』シリーズがスタート。
8月 シリーズ第2弾『恋愛日記』
10月 シリーズ第3弾『恋愛旅行』
98年2月 シリーズ第4弾『恋愛美人』
5月 シリーズ第5弾『恋愛運命』
10月 シリーズ第6弾『恋愛不倫』
『今からお会いしましょう』(ダイヤモンド社)の中の
「一緒に銀行強盗できる仲間を探そう」のコトバに電気が走る。
赤のデルマーで思わず、ぐいぐいラインをひく。
12月 中谷さん、イマジニアの神蔵社長、オータの近藤さんと一緒に、
湯布院へ旅行。読売退社を決意。
99年1月 読売新聞社を退社。図書編集部在職中に編集した書籍は、約60冊。
最後に出した本は、山田敦郎著『マーク』。
後に、山田さんの会社グラムコにANマークのデザインを依頼。
2月 株式会社中谷彰宏事務所秘書室に勤務。
00年10月 株式会社中谷彰宏事務所・取締役に就任。【現在】に至る。

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